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苦しみは なぜ 何のためにあるのか? [苦悩・苦難、悲しみ、危機的な状況]

苦しい時は「死にたい」と思う
死んだら、きっと今の苦しみから解放される、そう思う時がある
本当に死んだらこの苦から逃れることができるのだろうか?

このような考えは 物的視点で見ているから出てくる考えである
物的視点に対して、霊的視点という見方がある
この地上は物的にできているし、物的なものしか見えない
だからモノが全てである そう錯覚しても無理はない

たとえば心や精神や愛はモノではない、が確かにある
確かにあるが今の科学ではあることを証明できない
霊もそうである
科学では霊を証明できない

人間は霊であるのに 霊の存在が証明できないのである
霊とは何か?
霊とは生命、イノチのことである

自分が生命である という意識は誰もが持っている
ところが生命が見えないが故に 生命を軽んじてしまう
つまり 生命とは肉体のことである そう思いこんでしまうのである

世の中に迎合して生きていると 肉体が生命である そう思ってしまう
生命保険とは肉体保険のことである
いのちを大切に というのは肉体を大切に ということである
これらは 物的な 肉体的な視点での見方である

人間には 誰にでも必ず霊的な視点がある
なぜそう言えるのか、それは人間は霊だから である
霊とは生命のことであり、生命とは霊のことである

霊は 老いず 病気にならず 死なない
それは霊的な摂理の一つである
霊的な摂理は宇宙すべてを包み込んでいる
この宇宙は霊のために存在している
霊のための宇宙である

もちろん霊的な摂理は常に人間にも働いている
地上の法律や規則は人間が作ったモノである
だからいい加減であり、完全になることは絶対にない

そんなものに自分を合わせているから 苦しくなるのである
死にたくなるのである

それは組織というのは 自分に都合の良いように規則や法則が作られているからである
人間が作った組織、たとえば家族であり、会社であり、国であるが、これらは不完全な人間が作った不完全な代物である
この不完全なものに自分を合わせようとするから苦しくなり、死にたくなるのである

自分を不完全なものに合わせるのではなく、完全なものに合わせればよいのである
この世に完全なものなどあるのだろうか?
ない、しかしある

物的な視点ではないが、霊的な視点ではある
それこそが 霊的な摂理 である

霊的な摂理は 霊界で霊に対して働いている絶対的な法則である
霊界って 死後にいく世界のことだと思っていないだろうか?
それは大きな誤りである

この地上は物界と同時に霊界でもあるのだ
その証拠に みんな生きているではないか
みなさんがこうって生きているのは 霊という非物質のエネルギーがみなさんの身体に宿っているからであり、霊が出ていけば 肉体は土に還るのである
その霊こそが自分の本質であり、肉体は霊の道具である という意識になることであろう

この地上でも 霊的な摂理は常にみなさんに働いている ということであり、それはどうやって知るのかというと、霊的に生きて 体験するしかない ということである
霊なんて本当にあるの と思っている方に 私は霊の存在を証明したい
だが霊という摂理が働いている ということを知るのは 体験しかない
それは他人ではなく、個人個人が自分自身で体験して 自分で証明していく以外にないのである
体験すればするほど、ますます霊的に生きたくなる
なぜならば霊という見えない力が確実に自分に働いていることが実感できるからであるが、残念ながら何人といえどもそれを他人に証明することはできない
そういう意味で、「霊とは仮説を立てて検証していく科学である」、そう私は思っている

苦しみは 必ず克服できる
苦しみは 必要だから現れるのであり、霊的な視点で見ると、克服できる苦しみしか現れない、ということである
それも霊的な摂理の一つなのだ
そしてたとえこの世をさろうとも、その苦しみはあなたという霊に働いているものだから、自分で克服するまで消えることはない ということである
だから自分で死ぬことには 何の意味もないのだ

苦しみは逃げても消えないのだから 自分で克服するしかないのだ
そのためには 自分の生き方(背骨)を霊的な摂理に合わせていけば良いのだが、これは簡単ではない
シルバーバーチが言うように「霊的な褒賞は簡単には手に入らないが、一度手にしたらそれが失われることはない」と言うことであろう

霊的な摂理は 簡単には分からないようにできている
何歳になっても 学び続け チャレンジし続けることはできる
どんな風に肉体がなろうとも 霊や魂が老病死することは無いのだ

霊的な摂理に合わせていくことを 霊的な進化という
そのために人間には自由意志が与えられているのだ

霊的に進化する、生命は霊的に進化するために生まれてきている
これが生命の宿命である
宿命は変わらない、ならば自分を変えるしかないだろう
苦しみは 自分の生き方を変えるために現れる と言っても良い
厳しいことを言うようだが、苦しみが消えないのは 生き方を変えていないからに他ならない
楽に生きるためには、宿命に逆らわないで、自分の生き方を宿命と同調させれば良いのである
皮肉なようであるが、楽は苦を通って得られるものであり、いくら楽だけを求めても手には入らない
そう考えれば 苦 が現れたことに感謝できるのではないだろうか
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