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人間はなぜ病気になるのでしょうか [病気、老い、新型コロナウィルス]

その謎を解くには、「宇宙は何のために存在しているのか?」という哲学的な問題を解いておかねばなりません。
哲学とは非物質の世界を明らかにしていくことであり、思想とは自分が明らかにした哲学の仮説に対して自分自身の人生で検証していくことである、私はそう思っています。
物質の世界で万人が検証できることを科学と言いますが、非物質の世界も同じように万人が検証できる、私はそう思っています。

さて、宇宙は何のために存在しているのかですが、宇宙は生命のために存在しています。
生命というのは「生きているエネルギー」という非物質であり、これを「霊」と言います。
人間や動物、鳥や魚、虫や植物などは生きています。
生きているものには100%「霊」が宿っています。
霊という生きているエネルギーがなければ、生物は生きていられません。
地上でみなさんが生物と呼んでいるものは、生命という霊のことではなく、肉体のことのみを指しています。
そこに誤謬があるのです。
肉体は物質ですから目で見えますが、霊は非物質ですから目では見えません。
死というのは、霊が肉体を地上に置いて霊の世界に出て行くことを言います。

なぜ非物質である霊が、物質である肉体を身に付けなければならないのか、それは個である魂の修行のためです。
魂というとピンとこないかもしれませんが、精神というと何となく分かると思います。
地上の生物は、人間として生まれて初めて個性をもつことになります。
一人一人顔が違うのは個性があるからです。
人間はいのちとして、初めて個性を持つまでに進化したということです。

マクロ的に見れば、同時期に地球に生まれた人間はほぼ同じ進化の過程にいますが、国や一人一人の進化の過程は微妙に違います。
物的には価値観とか人間性と言いますが、霊的には霊性或いは霊格と言います。
私たち人間が地上に生まれたのは、魂の霊性を向上させるためです。

なぜ魂の霊性を向上させる必要があるのかというと、魂が不完全だからです。
不完全というのは、霊の完全性を現すことができていないということです。
不完全な故に、生老病死という困難、苦難が襲ってくるのです。

霊は完全です。
それは自分で霊の完全性を検証してみれば分かると思います。
私は幾度となく検証しています。
そのために出来るだけ霊主肉従で生きようとしているのです。

病気も同じです。
肉体の病気も精神の病気も、どちらも物的なものであり、それは魂が不完全だから起きているのです。
病気も老いも死も、すべては肉体に起きることです。

肉体は物質です、モノなのです。
モノはいつかは壊れるでしょう。
確かに両親から頂いた大事なモノには違いありません。
しかし自分の本質ではないのです。
肉体は影に過ぎません。
では何の影なのか?
肉体は魂の影なのです。

魂が成長すれば、影も成長します。
魂の霊性が向上すれば、肉体の病気も老いもなくなっていきます。
肉体は結果であり、原因は魂にあるのです。

何もせずに生きていれば、精神は弱いままです。
誘惑に弱いということは、霊的に生きていない証拠です。
霊的にという意味は、興味本位にではなく、霊的な摂理に則って生きるように努力するということです。
そうしなければ、意識が変わることはありません。
意識が変わらなければ、自分に霊的な摂理が働いているという事実を認識することができません。
それが認識できない限り、自分が霊であるという事実を、認めて受け入れることは出来ないでしょう。

自分は霊である、ということを自分という魂が認めて受け入れることで、初めて腑に落ちるようになります。
そうすると霊が怖くなくなります。
病気のほとんどは霊的なもの、つまり魂が未熟なことが原因ですから霊性が向上するにつれて、風邪を引かなくなり、足腰や背中の痛みも無くなっていきます。

霊性の向上という霊的な修行は、日常でしか出来ません。
宗教や何かの集まりなどでは勉強はできるかもしれませんが、修行はできません。
修行は日常で一人でやらねばなりません。
気の合った仲間と行うというのは自分の魂が楽を求めているのであり、魂の修行にはなりません。
魂の成長は一人一人の問題であり、人と共有することは出来ないのです。

病気、悲しみ、危機的な状況などの困難、苦難はすべて自分という魂を成長させるために起きていると思って間違いありません、
家庭や仕事、ご近所との問題も、すべて自分という魂を成長させるために起きている霊的なものです。
もちろん新型コロナも同じです。

新型コロナが怖いのは、自分という魂がまだ肉体的に生きているからです。
魂というのは霊の属性であり、肉体の属性ではないのです。
精神は肉体の属性ではなく、霊の属性なのです。

確かに肉体的な遺伝もありますが、ほとんどの病気は霊的に見て生き方が間違っているから起きていることだと思います。
今世の中で当たり前のことが、霊的に見て正しくない場合が多々あります。
人間が作った法律はいい加減で、そのほとんどがグレイ色です。
それを基準とするのではなく、宇宙すべてを統治統括している「霊的な摂理」を判断基準として行動すれば間違えることは少なくなります。
そして何よりも、霊的な摂理の恩恵を受けることができるようになります。
それをシルバーバーチは「霊の褒賞」「霊の宝」と言っていて、とても手に入れにくいものであると言っています。
マザーテレサは「チャレンジこそ神が望んでいること」と言っています。

自分に起きた困難、苦難は必要だから起きているのです。
それは魂の成長にとって必要なのです。
最善を尽くせば、苦難困難は必ず克服できるようになっています。
最善を尽くせば、必ず克服できるということを体験を通して知ってください。
途中で人の助けを借りることがあつても、最後は一人でやらねばなりません。
これは一人一人の課題なのです。

必ず克服できるのですから、絶対にそれらから逃げてはいけないのです。
人間は地上だけではなく、死後も生き続けねばならない宿命があります。
人間だけではなく、すべての生物、いのちは永遠に死ねないのです。
そしてすべての生物、いのちには、魂を成長させていく、霊性を向上させていく使命があるのです。
この地上にいる間に、そのことに気づいた人は幸せな人である、そう私は思っています。
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