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人間は、肉体を持った霊魂であるということ [思想・哲学]

自分という人間は、肉体という物質を着ている霊魂という非物質なのです。
これが真理です。
自分という人間の正体です。

それをまずは知識として知ることです。
宇宙には物質の世界と非物質の世界があり、この地球という天体は物質が色濃く出ている世界です。
他の太陽や月は非物質が色濃く出ている世界です。

人間も他の生き物も、この地上にいる限りは肉体という物質を勝手に脱ぐことは出来ません。
人間は肉体の上に衣類というものを着ますが、この衣類も丁寧に洗って使えば綺麗で長持ちします。
未来の人間はヴィーガンでグルテンフリーでカフェインレスという食生活になっていきます。
そして120歳という寿命を、ほとんど病気をせずに送ることになると思います。

120歳というと60歳が折り返し点になります。
しかも後の60年間を健康に過ごすことができたら、人生設計は一変するでしょう。
と言いましても人間にはやるべきことがあります。
それはこの後半の60年間で肉主霊従から霊主肉従へと自分の生き方を変えていくことです。

人間の生き方は、何か大きな苦難や困難が起きると変わるものです。
自分の魂というのは、言葉を変えると意識です。
生き方が変わるのは、自分の意識が変わる時です。
人間には必ず自分の意識が変わるような出来事が起きるように設計されています。
病気、悲しみ、失意、危機的な状況などの苦難や困難です。
これは一人一人に起きることなのですが、地域や国民全体や地球全体で起きることもあります。
地震や台風などの災害や原発のメルトダウン、感染症などはその一例です。

これらは自分の魂を目覚めさせるために起きていると考えるべきです。
他人事ではなく、心の底から「大変なことが起きた」と思えた時に意識は変わるようです。
つまり人間は自分に何か大変なことが起きなければ、意識が変わることはほぼないということが言えると思います。

ほぼないという書き方をしたのは、意識を変えることを自分の自由意志で選択することもできるからです。
ある程度霊性が向上してきますと、人間は自分の自由意志を「霊性を向上させる」という方向に向かうようにコントロールすることができるようになります。
と言いましても完全ではありません。
不完全ながら、紆余曲折しながら魂を磨く方向に向かって歩いていく努力が自分からできるようになるということです。

今「努力」という書き方をしましたが、努力というよりも自分のいのちを進化させる方向に行かずに居れないと言った方が正しいかも知れません。
人間の人生は選択の連続であるということができます。
霊的な選択をするためには、自分は霊魂である、という意識が必要になります。

正しい霊的な知識の次に必要なのは「霊的な体験」です。
もっともポピュラーなのは、霊能力の顕現です。
霊能力の体験は「自分は霊魂である」ということが腑に落ちるための触媒です。

そしてもう一つ自分が霊魂であるということを知る触媒があります。
それは「霊的な摂理」を体験することです。
たとえば「正直」で損をすることは絶対に無いという体験です。
あるいは人を責めない、争わないということで損をすることが無いという体験です。
今損をすることが無いと書きましたが、実際に物事が良い方向に動いて、最終的には自分が思っていた方向で決着するということです。

霊的な摂理を体験するというのは、非常に重要なことだと思います。
そのためには、霊的な摂理とは何か、ということをまずは知識としてインプットしておく必要があります。
私は断然「シルバーバーチの霊訓(全12巻)」をお薦めします。
3000年前に他界した、今は遠い星に住んでいる霊性の高い霊魂が記したこの書物の右に出る本はありません。
私の記しているものもそうですが、自分の霊性以上のものは書く事が出来ませんし、言動も制約されます。
霊性が向上すれば、自由意志が広がります。
今まで出来なかったことが出来るようになります。
たとえば私はいまヴィーガンでグルテンフリーでカフェインレスという食生活をしています。
これは強制ではなく自分の自由意志で選択しているわけです。
私はイヤイヤではなく喜んでそうしています。
そして、霊的な摂理は確実に人間に働いている、ということを幾度も自分で体験させてもらっています。

以前の私には絶対に出来なかったのに、今こうしてそれが出来るのは、自分の自由意志の選択の範囲が広がったからだと思います。
通常何もしなければ、人間の自由意志の選択範囲は非常に狭いです。
狭いということは不自由だということです。
人間の自由は肉体的なものを指す言葉であり、実は霊的には不自由極まりないということです。
本当の自由というのは、自由意志の選択の幅が広いことを言うのです。
自由意志はこのように、肉体的なものと霊的なものとの両方の方向に広がっているということです。
それを今の人類は片側の方、つまり肉体的な自由意志しか使っていません。

霊的な自由意志を使えるようになると、遊ぶことがつまらなくなってきます。
遊ぶというのは肉体的な自由意志の選択肢であり、霊的な自由意志の選択範疇にはないからです。

争い、不正直、愚痴、悪口、怒り、貪欲、ねたみ、不真面目、憎しみ、意地汚なさ、虚栄心、名誉、肩書、地位、・・これらは肉体的な自由意志の範疇です。
霊性が向上すればこれらの肉体的な自由意志がなくなるのかというとそうではありません。
これらを自分で選択しなくなるのです。

自分という魂の向かう方向が霊的なベクトルに変わると、霊的な選択肢が増えて肉体的な選択肢を選択しなくなるのです。
みなさんが大変だと思って選択できないのは、実は自由意志の選択の幅が狭いことが原因なのです。
だったらこの原因を取り除いてあげれば良いのです。
それが次の世界で自分を活かすことにつながります。
60歳までの人生は60歳からの人生のために、60歳からの人生は120歳からの人生のためにあります。
人生はそこで終わるということがありません。
原因があるから結果があり、その結果がまた新たな原因となって新しい結果となる、ということが連綿と続いているのが人生なのです。

人間は肉体を着た霊魂です。
私たちはいつか肉体を置いて霊魂で生きるようになります。
それは運命ではなく宿命なのです。
その時になって「あゝしまった。地上にいる時にもっと霊的な選択肢の幅を広げておけばよかった」と思っても遅いのです。
霊魂になって霊的な選択肢がないというのは本当に辛く苦しいことに違いありません。
肉体的な選択肢しかない霊魂は、肉体が無いのに肉体的に生きようとします。
霊的な選択肢ができるまでは、辛く苦しい時間を過ごさねばなりません。

ならば先送りするのではなく、いま地上にいる間に辛く困難な道を選択することにより、自分の自由意志の幅を広げることが出来るのではないでしょうか。
マザーテレサが「困難な方を選びなさい」と言っているのはきっとそういうことだと思います。
辛く苦しいと思って始めたことが、私は今は楽しいことに変わってきています。
信じられないかも知れませんが、ヴィーガン、グルテンフリー、カフェインレス、飲酒レス、という食生活が楽しいのです。
これは強がりではなく、本当に楽しいのですから仕方ありません。
もっと霊的な選択肢の幅が広がれば、きっと今見えていないことも見えてくるのだと思います。
自分が行き詰まって悶々とするのは、自分の自由意志の選択の幅が小さいことが原因なのです。
特に地上の人類の霊的な自由意志の選択肢はほぼないに等しい状態なのです。
もちろん私も五十歩百歩です。

私は60歳を過ぎましたが、60歳を過ぎたからこそ上記のことがわかってきたのです。
ならば次の120歳まで、自由意志の選択肢をもっともっと広げていきたい、私はそう思っています。
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