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科学と哲学と思想 [思想・哲学]

科学と思想は、仮説を立てて検証するという同じことをしているのですが、この二つは似て非なるものである、ということができます。

まず、この無限の宇宙には目で見える世界と見えない世界がある、ということを知っていただきたいと思います。
「見える世界」というのはモノの世界であり、これを「物質の世界」と言います。
人間の身体も物質であるし、原子やクォークなども物質です。
これらの物質の世界の未知を明らかにしていく人のことを科学者と言い、この明らかになったものを応用するために創意工夫し、腕を磨いていくいく人のことを技術者と言います。
つまり科学や技術というのは「物質の世界」「見える世界」の話であると言うことです。

これに対して宇宙には目では「見えない世界」と言うのがあります。
見えない世界は科学では検証することができません。
なぜならば科学というのは、万人が「その通りだ」と思うことが重要だからです。

見えない世界というのは「非物質の世界」のことです。
この「非物質」のことを「生命」と言います。
私たちは生命と言うと肉体を思い浮かべますが、それは真理ではありません。
生命というのは、「生きているエネルギー」です。
生きているエネルギーが肉体という物質を動かしているのであり、生命である霊が出ていってしまえば肉体は土に還ります。
それを私たちは死と呼んでいるのです。

この「非物質」あるいは「非物質の世界」を哲(あき)らかにしていく人のことを「哲学者」と言い、哲らかにしたことを自ら検証していく人のことを「思想家」と私は呼んでいます。
つまり思想というのは哲学の延長線上にあるということです。
哲らかにした哲学が真理なのか真理でないのかを検証するには、哲学者が自分の生き様で検証していくしかありません。
もし検証しないならば、それは机上の空論になってしまいます。
哲学者が哲学者で終わらずに思想家となる為には、一歩踏み出す勇気が必要なのです。

目では見えない「生命の世界」を探究し出しますと、必ず「生命の法則」である「霊的な摂理」に遭遇します。
この「生命の世界」の探求こそが哲学です。
やがて「シルバーバーチの霊訓」を知ることとなります。
この本には「霊的な摂理」がギッシリと詰まっています。
そして自分が知った「霊的な摂理」は本当に真理なのだろうか、それとも絵空事なのだろうかという疑念が湧いてきます。

この疑念を晴らすには、自分自身が霊的な生き方をして、「人間は霊である」という仮説を検証していく以外にありません。
そうしない限り「人間は霊である」という最も偉大な真理が腑に落ちることはありません。

言葉で言うと「霊的な生き方」という簡単な言葉で終わりますが、この「霊的な生き方」をする為には、一歩踏み出す勇気、不退転の決意が必要になります。

シルバーバーチは「霊的に目覚める人は多数います。しかし霊的に生きようとする人は少数です」と言って残念がっています。
実は私も葛藤がありました。
その時に「なぜ自分がこんなにも大変なことをせねばならないのか」という思いが出てきたのです。
大変なこと・・霊の真理を検証するには、苦難や困難を受け入れて経験しなければならないからです。
人間には苦難や困難にチャレンジする自由も、そこから逃げて楽な道を選ぶ自由も与えられています。

自分は霊であるという真理を、自らの人生で検証していく為には、どうしても霊主肉従で生きるよう努力しなければなりません。
病気も老いも死もない、生きる苦難や困難もない、という般若心経の悟りの境地に行き着く為には、自分が体験をする以外に方法がないのです。
これは机上の空論ではないのです。

作家の五木寛之さんは「大河の一滴」という書籍で「人生は苦難・困難の連続である、そう思って生きる覚悟が必要である」と説いています。
覚悟とは、「霊主肉従」で生きる覚悟である、と私は思います。
人間は、否、すべての生き物は進化する為に生まれてきました。
肉体的にではなく、生命として、霊として進化する為です。

霊的に進化しない限り、「自分は生命という霊である」という真理が腑に落ちることはありません。
その為には「霊主肉従」で生きて、「霊的な摂理」という「霊力」が間違いなく自分という生命に働いている、という検証が必要なのです。

目で見える科学は万人が検証することができますが、目で見えない世界は一人一人が体験を通して検証する以外に方法がないのです。
だからこそ「覚悟」が必要なのです。

なぜ覚悟が必要かというと、そこには肉体的な誘惑があるからです。
苦難・困難よりも楽な方に行きたい、と思うのが人間です。
それが地上にいる人間の霊性の平均的な立ち位置なのです。
その思いに迎合しないことです。

生命の霊的な進化には紆余曲折があり、スパイラルに行きつ戻りつ進んでいきます。
決して平坦な道のりではありません。
苦難、困難、悲しみ、病気、危機的な状況などが引きも切らず押し寄せてきます。
しかし心配には及びません。
これらは必ず克服できるようになっています。
もし克服できないならば、それは霊的な摂理に抵触しているか、あるいは楽をして最善を尽くしていないかです。

心配や不安、取り越し苦労は、霊にとって最大の敵である、とシルバーバーチは言っています。
そういう思いになるのは、自分の理念、背骨がしっかりとできていないからに他なりません。
理念、背骨は知識と体験でつくられます。

霊的な摂理を体験すればするほど、もっと知りたくなるものです。
見えない世界の未知のことを知る為には、自分の霊性を向上させる以外に方法はありません。
霊性の向上と体験、このような好循環の中にもスパイラルはあります。
しかし自分にしっかりとした理念、背骨があれば、どのような逆境になっても「必ず思った通りになる」という信念で前に進むことができます。
「思った通り」と言うのは、もちろん「天が思った通り」という意味であり、私利私欲で思った通りになる、という意味ではありません。

人を見ていると、人を相手にしていると、世間に迎合して逆戻りしてしまいます。
そうならないようにするには、天を相手とすることです。
天というのは「霊的な摂理」という生命の法則のことです。
それを理念、背骨として前に進む努力をしていけば、大きな霊力が自分という霊に働いていることを体験することができるようになります。
絶えなる知識と体験こそが思想家の道なのです。

科学と哲学・思想は180度違うように見えます。
しかし入口や登る道は違ってもいつかきっと同じところに辿り着く、私はそう思っています。

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